書評 考察・意見

二流というのはランクの名前ではなく、スーパーフォロワーシップのことである

2013年4月1日

ナガオカケンメイ氏の新著
二流でいこう
を読みました。

本の概要

一流の人ってのはやっぱり凄い。
ものの考え方、立ち振る舞い、見ている・体験しているもの、
そこから何を抽出するかという能力。

だけど皆が一流だったら良いかというとそうではなく、
一流が埋められない部分、わざわざやらない部分
または得意じゃない部分というのがある。

一流が切り拓く未来を具現化するには
その部分を担うべき人々も世の中には必要。
著者を含めたそういう人たちを「二流」と呼んで
そのスタンスにスポットライトを当て
二流という自負を持とう、
より良い二流になろうと呼びかける一冊。

途中、一流、二流、三流の定義とか行動特性みたいな話もありますが、
そこをメインだと思っちゃダメ。
そうすると、「残念な人の〜」「頭のいい人の〜」みたいな本と一緒に思えてしまいますが、
この本はそういうのと同カテゴリに解釈するなら
読まないほうがいいくらいです。

で結局二流とは何なのか

ナガオカ氏が定義する二流とは、だいたいこんな感じ。

・二流は、一流と三流の橋渡しをする翻訳者
・一流に触れ、一流がどんなか知った上で二流という立ち位置を取る
・ミーハー心で一流と同じ体験をする

こういう点を見ていると、氏の言う二流とは

「フォロワーシップのすごいやつ」という感じがする。

一流に影響され、一流が何を示さんとしているかをきちんと理解できる土壌を持った上で
自分なりのやり方、自分の場所でそれを展開する。

リーダーとは別の場所で自律的に活動するフォロワー、
てなところか。
言うなれば、スーパーフォロワーシップ。

一流が示し、二流が動かす世の中

一流至上主義ってのは、皆が一流を目指す社会。
でも冒頭に書いたように一流がやらないこともある。
それに一流ばかり目指すと、
結局エセ一流を増産することにもなりかねない。

そう考えると、二流にスポットライトを当てようという主張は面白い。

皆がスティーブジョブズ目指しちゃ成り立たない。

「意識も能力も高いのにジョブズを目指さない人」は
今の世の中、ともすれば自分を三流と卑下してくすぶったままになってしまう。
二流という立ち位置を示すことで、
そういうポテンシャルを最大限に引き出せる。

一握りの一流と
層の厚い二流がいれば、まだまだ日本は良くなる。

これは面白いコンセプトになりそうだ。

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