考察・意見

「レイヤー化する世界」でわざわざレイヤーを同一化する人々、またはFacebookを会社関連で埋め尽くすことについて

Facebook上に会社関連の知り合いはそこそこいるようですが
自分からはあまり申請しないようにしています。

もともとは、昔の上司におべんちゃらコメントが沢山ついていたのを見て、
そんなん面倒臭いなあ、と思ったのがきっかけ。
それならその人だけ避ければ良いのに、
何で自分は会社全部、避けがちなのかな。

そんな風に考えていたら、とある本を思い出した。
佐々木俊尚氏の「レイヤー化する世界」。
芸は身を助ける。レイヤー化する世界で。 - せいじ100のリスト
自分の中にある様々な要素を、様々な場に合わせて表出し
会社一辺倒でない活躍の場を複数持って活動する、みたいな話です。

ここから考えると、
会社関係をFacebookに色濃く出すということは、
せっかく「場によって使い分けている顔」を同一化してしまうことなのだ。

そうか、だから僕は避けがちなんだ。

もちろん、個人の自由だし、好みもあるでしょう。
職場の友達と休日も一緒に遊びたいと思う人と、
たまには良いかな、と思う人と、
一切嫌だと思う人と、いるのと同じように。

僕の場合、職場の人たちに自己開示をするのは、
全然嫌じゃないんです。
たまには休みに職場のイベントに顔を出すのも面白いと思ってる。

だけど、Facebook上では、あまり会社のつながりは出さない。
Facebookならではのコミュニケーションを重視してるから。
会社以外では、会社以外の人とつながりたい。
友達申請を断るほどじゃないけどね。

そういう人、結構いるんじゃないのかな。

-考察・意見