メルカリと、リサイクルショップや買取サービスの価格差
先日、ブランディアを知って利用した話は書きましたが…結局買い取りは止めて、返送してもらいました。で、戻ってきた商品を改めてメルカリに出品したところ、ブランディアで160円の査定だったものが、7000円で売れました。メルカリ側の手数料、送料引いても、実に約30倍のひらきです。ここまで差がでるとは、さすがに驚いた。
なぜここまで価格差があるのか
別にブランディアが暴利を取ってるなんて言うつもりはないです。ブランディアだって、高く買えるなら高く買いたいはず。人気、売れるそうな見込み価格から、送料、査定の人件費、保存の倉庫代…さらには、「売れなかった商品の損害分」などなどを差し引いた結果、これくらいの価格にせざるを得ないのでしょう。ブランディアだけじゃなく、ほかの買い取り業者だって、大差ない。街のリサイクルショップなんて、わざわざ持って行ったのに、そのためのガソリン代にさえならないこともしょっちゅうだし。
売る側から見た価格差の中身
ところが売る側からこの差を見るとどうなるか。少なくとも、査定の人件費や倉庫代は、売る側にとって何の意味もないコスト。さらに、買い取り業者の業務効率化のため、売る側が自負する価値(例えば一回着ただけ、など)はスルーされている。つまり売る側からすると、自分にとって意味のない価値(買い取り事業運営コスト)を乗せるために、意味のある価値が削除されていることになるんです。言い換えるならば、買い取り業者は売る側からみて『価値の分からない人』になっている。自分が持ってる物ならば、価値の分からない人に売るより、分かる人に売りたいですよね。手間をかけてでも。
買う側から見た価格差の中身
一方、買う側から見たらどうでしょう。
買う人と売る人の直接取引なら、価値観のすりあわせができます。一回しか着てないとか、大切に保管してあったとか。だからこの価格でどうでしょう、う~んもうちょっとかなあ。まあ、送料込みでこれくらいならいいかな…なんて。明確に乗ってる間接コストって、送料くらい。不透明な人件費やマージンはない。あるのは「この商品ならこれくらいの価値があるのでは」という合意のみ。
ところがここに仲介が入ると、価値観以外のものが入ってくる。「事業運営上、乗せざるを得ないコスト」。買う側にとってもやはり、価値のないコストが乗っていることになるわけです。
僕らは流通業の何にお金を払っていたか?
今までは、そんなコストは乗ってて当然でしたよね。売る側からすれば、中古品を買ってくれる人なんてそんなに簡単に見つからない。買い取り業者しかいなかった。いや、買い取り業者だってふんだんにいたわけじゃない。買ってくれるだけマシ、くらいの状況。それくらい、売ることが大変だった。
買う側からすると、欲しいものを日本あるいは世界中から見つけ取り寄せてくる手段含めての売価。どちらの側にとっても「自分にできないことをしてくれる」のが中古流通業者だったわけです。
ところがインターネットの登場、ひいてはメルカリの登場により、流通において「自分にできないこと」は激減した。僕らは、流通業に頼らなくても、自分で欲しい人を見つけることができる。
それに比べ、古物商の事業コスト構造は基本的に変わっていない。だから、安くしか買い取れない。
結果、「自分でやれば払わなくて済むコスト」が、相対的にかなり高く見えるようになってしまった。
理屈としては、それが乗ってるのは理解出来る。だけど、自分の物を売ろうとした時、「感情的には理解出来ないほどのコスト」を受け入れるのは難しい。買う側だって、売る人から直接買いたい。そのほうがいかにも「自分にとって価値のないコストは乗っていない」から。イメージ的には原価で買えるような感覚ですね。
ってことはどうなるか
今はまだ中古品買い取り業だけの話だけど、ゆくゆくは流通業自体、「感情的には成り立たない」ビジネスモデルになる気がする。感情面からビジネスモデルを見たことはなかったけど、なにかこれは、覚えておきたい。
流通業がなくなり、運輸業だけが残っていくのだろうか。
photo credit: Jonathan Rolande Children's Nearly New Sale via photopin (license)