しばらく前に、こんなの話題になりましたね。
わざわざ通報するなんて、よほどヒマなんだな~、という感想は置いといて。
ネットでは「どんどん寛容さがなくなり、監視社会になっていく」という論調が目立ちました。ま、どんな世界にもこういう暇人はいるし、僕には関係ないし…と思っていたところ、カウンターとして、こんな意見も出てきた。面白い分析です。
ここまで
「日本は窮屈になった。それに比べて海外は…」
「いや、海外だって窮屈だって」
という話の流れですが、そこで
「いや、日本も窮屈になってきたんじゃなく、元から窮屈だったんじゃないの」
と思いついた。元ネタは、この本に書いてあったことなんですけどね。
日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点
- 作者: 山岸俊男
- 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
- 発売日: 2008/02
- メディア: 単行本
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ざっくり要約すると
震災とか起きて、日本人のモラルの高さが賞賛されたり、逆に「いやいやこんなひどいことする奴も居るって」という話が出てきたりしてる。でもね、日本人はもともといいやつって訳じゃないんだよ。
田舎の家には、留守宅でもなぜ鍵がかかってないか。それはね、村人がみんな良い人だから、じゃない。村人の顔はお互い皆知ってて、空き巣にでも入ろうものならあっという間に知れ渡る。もうそこでは暮らしていけなくなる。空き巣に入るメリットより、リスクのほうが圧倒的に大きい。だから誰も空き巣に入らないだけ。
そういうムラ社会による相互監視で秩序が保たれてきた。
という話。
でも日本は都会化し、隣の顔も分からないような社会になってきたから、その抑止力がなくなってきて…と本は続くわけですが。
もう、私の言いたいことはお分かりですかね。
そう。
「都会化により失われた相互監視社会が、SNSによって戻ってきただけじゃないの?」
ということです。
冒頭の消防車の例で言えば、消防署やマスコミが対応を間違いさえしなければいい。
的外れなチクリは毅然とスルーが出来さえすれば、全体としては良い方向なんじゃないですかね。「留守でも家に鍵かけなくていい田舎なんて、良いなあ」って思うでしょ皆。
あ、新聞が「毅然とスルー」の判断を正しくできないから問題なのか…
しまった。