僕はいったい、どこを目指しているんだろうか。最近、たまに考える。
仕事ができるやつにはなりたいけど、別に偉くなりたくはない。向上心はあるけど、上昇志向はない。でも、常に本は読んでいる。なんかとにかく、向上したいのだろう。
そんなときに、この本を読んだ。
どういう本か
読み終わって2日経つのに、まだ読後の余韻から抜け出せない。なんというか、これはとても稀有で、大切な本だ。
ビジネス書みたいに、著者の主張がびっしり詰まっているわけではない。ゆっくり、リラックスして読める。しかし、中味は伝えたいことにあふれている。こんな本は、なかなか、ない。
で、どんな本なの?と聞かれても「こんな内容の本です」と紹介することすら難しい。Amazonなどにある、下のような紹介文を読んでもらえば十分だ。
家族、友人、仕事、お金、自分の居たい場所、そして生と死。
命を見つめ続けてきた写真家が、大切にしてきた「選ぶ」ということ。
自らが取材したがん患者や、患者の関係者たちとの対話を通して見えてきたもの。
最後に選択するという安楽死について。
生きにくさを超えるために、自ら「選びとる」ことの意味を、強くやさしいことばで綴る。
紹介するのが、僕にとってなぜ難しいのか。それはたぶん「文字で書かれていることは、この本のコンテンツとして、ほんの一部」だから。行間を読むとか、そーゆうんじゃない。うまく言えないんだけど…文章に思いがあふれている。それを受け止めるために、ゆっくり読む。
ぜんぜん、何言ってるかわからない、かもしれない。
貴重な時間を使って、この文章をせっかく読んでくれているのに、分からなくて申し訳ない。(何がいいたいのかは、幡野さんの文章に触れた方なら、わかるかもしれない。幡野さんのブログやcakesを一度読んでみて下さい。たぶん、損はしない。)
考えてみたら、「文章の形こそしているけど文章を超えた表現」を、僕なんかが文章で要約できるわけがないんだよ。
…とまぁ、レビューするのが難しい本だ、という言い訳はこのくらいにして。
この本から何を受け取ったか
僕は今まで死というものに対し、ほんの少しは考えて来たと思う。
ドラマ「僕の生きる道」は、DVDボックスを買って何度となく見た。TVドラマのDVD買ったのなんて、後にも先にもこれっきりだ。
あるいは「ブラックジャックによろしく」というマンガ。ガン編。
逆に言えば、考えてきたと言ってもその程度ではある。でもそれらのコンテンツは今も心に残っていて、ときどき僕に催促してくれる。僕に同じことが起きたとき、平常心でいるために、普段どういう心の準備をしておくの?
そう、僕が死を考える、死を意識するのは、平常心を保つためだった。何があっても、普段と変わらない自分でいたい、と思っていたから。
そして今回、幡野さんの本を読んだ。
そしたら、もっと先の話が書いてあった。余命が宣告されたとき、平常心でいることはやっぱり大切だと思うけれど、覚悟をもって「自分の平常を保ち続ける」ことの大切さ。それが書いてある。僕は、ほかの誰かの平常を保つために生きていないか?
これはもちろん、余命関係なく僕らにも言えることだろう。
他人が望む自分 から抜け出せるか?
言い方を変えるなら、こういうこと。
30歳であっても、40歳や50歳、60歳であっても「自分がどんな大人になりたいのか」は、もう一度深く考えるべきテーマだと思う。
ほんとうの「大人」になりきれている人なんて、ほとんどいないはずなのだ。(p.156)
なんかとにかく向上したいと思う僕にとって、目指すところはこの「自分が目指す大人になること」にある、ような気がした。他人が望む大人、じゃなくてね。
ちょうど今夜、テニス全仏オープンで錦織選手とナダル選手が対戦する。ナダルが圧倒的強者だったころに見かけたインタビューが、今でも印象に残っている。「(常に勝つからライバルもいないし)これ以上、どこ目指すの?」みたいな質問に、ナダルはなんと「もっといい選手になりたい」と応えていた。
何年も僕の印象に残り続けるものが、この本によってまたひとつ増え、それらがお互いにつながり始めている。
『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』とてもおすすめです。