嫌われる勇気、読みましたか?
他人に気に入られることなんて、どうせコントロールできない。だから気にするな。今、ここ、自分に集中して自由になれ。
みたいな話でしたね。
なるほどな。悩みのほとんどは人間関係か。そう言われればそんな気もする。
と、思っていました。でもね、それは平和で幸せな日常であるからこその、ぜいたくな悩みだったのかもしれません。
いきなり話は飛びますが、もし昔、ユダヤ人となって強制収容所に入れられていたとしたら。「バカやろー、この悲惨な状況が人間関係でどうにかなるかよ!!」ってなもんです。そりゃそうだ。無理もない。
しかし、ユダヤ人強制収容所のような悲惨な状況においても、崇高な人間性を失わない人達がいたというのです。自分だって空腹なのに、自分のパンを他人に分け与えたり。すごいな。どんな精神力なんだ?と思うでしょ。ところが本当は
精神力の強い人が人間性を維持できた訳じゃない。考え方次第で人間性の維持はおろか、生き延びる力も強くなる。
だそうです。そんなこと言われたって…にわかには信じられない。でもこの本を読めばわかります。
「夜と霧」という本を聞いたことがあるでしょうか。ユダヤ強制収容所での体験記ですよね。知ってはいるし、興味はあるけど、重そうだからなかなか手が伸びない。そういう人も多いのではないでしょうか。僕はそんなんでした。だからまずこの解説本、100分de名著の「夜と霧」を買ってみた。
そしたら。「嫌われる勇気」のその先が描かれていたわけです。つまり、アドラー心理学の先です。ユダヤ人の精神科医であるヴィクトール・フランクル先生は、強制収容所に入れられながら、考え方ひとつで生き延びる。曰く
人生に意味があるかどうか、を考えるのは間違っている。人生のほうから、あなたに意味を問うているのだ。
という考え方。これだけじゃ分からないでしょうが、要は「お前はこの人生で何ができるのだ?」と問われているということです。フランクル先生自身で言えば、「いつかこの収容所から出て、心理学に関する自分の学説を世に広めなければ!それに、いまのこの境遇は自分の学説を検証するのにまたとない機会だ。」と考えていたらしいです。ユダヤ人強制収容所にいる、というこの境遇に対して、お前はどういう答を返すのか?どういうアウトプットをするのか?ということなんですね。「なんで俺ばっかりこんな目に?」じゃなくて「こんな状況でお前は何を成す?」ということ。「理不尽でひどい目に遭ってるから、もうめちゃくちゃにしてやれ」と思って、他人のものを盗んだり、裏切ったりするのか?それとも、悲惨な状況でもなお、人間性を失わず「僕はどんなに追い詰められてもこれを成し遂げます」ということを示すのか。かなり違います。
この本の中身とは関係ないですが、一般的に言いますね。「今、その状況は、その人にふさわしい」とか「神は乗り越えられる試練しか与えない」とか一。そういうのに近い。
「今、その状況は、その人にふさわしい」という言葉は、もう何年も前に糸井重里さんのWebサイトで見たんだけど、僕の座右の銘みたいなものにしています。ピンチや、ひどい状況になったとしても、そこから何かを得て、前に進むための言葉。ですが、言葉を知ってるだけでは、自分を少し無理やり納得させてる感もあった。不満やストレスを感じないために、わざわざ持ち出した考え方、という感じ。でもいまこの本を読んで、やっとわかりました。「なんで俺だけ今こんな目に遭うんだよ、教えてくれよ」じゃないんですね。それじゃただの我慢だし、せいぜい、ダメージ少なくしのぎ切ることにしかならない。そんな マイナスをいかに少なく済ませるか の話じゃなくて、「ここから何を産み出せるんだ」という、プラスをどこまで積み上げられるか という話なんです。今までと考え方が180°変わる。
「嫌われる勇気」でアドラー心理学がブームになった次は、これですよきっと。フランクル先生の心理学が来ると思います。そのブームが何年先かは分からないけれど、いま、読んでおくのも悪くない。おすすめです。