映画 Yesterday 観てきました。とても良かった。
内容を直接バラすつもりは全くありませんが「公開されているあらすじ以外、1ミリも中身に触れたくない人」のために、内容について触れない部分と触れる部分に分けて書きますね。
まずは、公開されているあらすじ。
イエスタデイ<昨日>”まで、地球上の誰もがザ・ビートルズを知っていた。 しかし今日、彼らの名曲を覚えているのは世界で一人、ジャックだけ・・・ ジャックは突然、信じられない不思議な世界に身を置くこととなってしまった!
というわけで、さて、映画の内容に触れない部分から。
■この映画は感情ラジオ(内容触れず)
この映画、ほんと不思議な映画です。
スクリーンから、さまざまな感情が流れ込んでくる。
登場人物に感情移入してるわけじゃないんです。それだったら、登場人物が置かれたシーンと同じような感情を感じるはずでしょ。そうじゃないんですよね。
感情移入じゃないのに、複雑で名前のつけようのない感情がいろいろと、スクリーンからやってくる。嬉しいシーンを見ていても、嬉しいわけじゃない。悲しいシーンを見ていても、悲しいわけじゃない。
こんな感覚は、初めてでした。
ショートショート作家の星新一さんに、「味ラジオ」という作品があります。ラジオと言えば普通、音楽が流れてくるものだけれど、味ラジオは、口の中に仕込んでおいた小型受信機から味が流れてくる、というもの。
この味ラジオみたいに、感情ラジオと言おうか、心に感情が流れ込んでくる。なんか、そういう感じなんです、この映画。スクリーンの前ににいると、映像、そして音・音楽、そのほかに、感情が配信される。名前のつかない感情が。
観た後も、なかなか余韻から抜けられません。
何かのメッセージを見出そうとしたり、何を訴えたいのかとか考えたり、しようと思えばできる要素はあるけど…ただ、観る。そして感じる。それで良いんじゃないかな。
ただ、こんな感じ方をするのは、僕がビートルズや音楽を好きだからかもしれません。音楽好きの方には特に、Yesterday、お勧めです。
それだけで終わっても良いんですが、余韻に浸っていろいろ考えているうちに、思いついた話を書いておきます。ここから、直接じゃないけど内容に少し触れる部分です。
■無理に言語化せずにただ感じること(抽象的に内容に触れる部分)
この映画はなぜ、感情が流れ込んでくるのだろうか。ちょっと気になります。
たぶん、「あっ、わかった!」ってなるようなシンプルな理由じゃない。
でも、逆説的だけど、言葉にしようとするから、複雑だと思ったり、よくわからないと思ったりするのかもしれません。見たこと、感じたことは、別に言語化せずにそのまま受け入れればいいのかも。
- 売れないミュージシャンが産み出した曲でも、一発で良い曲を良い曲だと評価できる、主人公をとりまく人たち。誰が書いたか、という視点から完全に自由になり、曲そのものを評価できている。『佐村河内氏の曲を葬り去るのは正しいのか』『ドラッグをやって作った曲は、評価すべきではないのか』とかそんな問題意識とつながります。
- その全く逆で、息子が名曲を発表しても、その本当の価値(めちゃくちゃ良い曲だということ)が理解できない両親。悪い意味じゃなく、ただ音楽に興味がないから。しかし、曲の良さを理解できないがゆえに、図らずも主人公をあるがままに肯定していることになる、両親。名曲を書こうが書けまいが、彼らにとってはかけがえのない息子。
などなど。見て感じたことを、整理しなくていいから、ただそのまま留めておく。それこそが、物語でも、映像でも、音楽でもなく、映画にできることなのかもしれないですね。