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子供の才能を伸ばすには、信じて待つこと。でも待つのが難しい。【書評】モンテッソーリメソッド

2018年4月23日

この本、読みました。

どういう本か

100年前に提唱された「モンテッソーリ教育」が今見直されている。そのモンテッソーリ教育とはどういうものか。という話。仰々しい名前が付くと、まったく新しい考え方のような気がするけど、中身は自分が普段意識していること、実践しようと心がけていることだった。ポイントは 

年齢を基準に考えない(この年齢ならこれくらいのことができて当然、と考えない)

子供に自分で考えさせる、自分で決めさせる

危険なこと以外は、自分でやりたいようにやらせる。間違っていてもいい。

ただ、間違いに自分で気付くように仕向ける

という感じ。結局、「周りと比べず、自分の子供を信じて、伸びるまで待つ」ということだと思う。

驚きなのは、これが100年前に提唱されていた、というところ。こういう考え方って、ここ10年くらいで出てきたものと思っていた。違うんですね。最近見直されてきた、というだけで。

なぜ見直されてきたのか

じゃあなぜ今、見直されてきたのか。この本の帯には「Google創業者や、藤井聡太棋士が受けた教育手法」みたいに書いてあるけど、そんなワイドショーぽい理由だと思っちゃうと大間違い。

見直された理由はやっぱり、「少子化」と「個の時代」でしょう。

モンテッソーリ教育が提唱された100年前は、まだ「一定水準以上の人材を大量に供給する」必要があった時代。そのころ「子供ひとりひとりをじっくりみて、伸ばす」なんて無理な話。寺子屋だとか保育園幼稚園だとかじゃなく、親でさえ無理。子供が多かったですから。
ところが現代。とびきり優秀な個人が一人いれば、時価総額10億ドル企業(ユニコーン)を作れてしまう時代。個の重要性が最高に高まっている。そこへ少子化。保育園は不足しているとしても、親が子供をじっくり見ることができる時代になっている。そりゃ、見直されますよね。見直されるというより、いまこそ必要になってきている、ということなのだろう。つまり、こういう考え方にシフトしないと生き残れない。

これを実践するのにもっとも難しいこと

じゃあどうやっていけばいいか、という話になるわけですが、冒頭に書いたとおり、そんなに革新的なことをやる必要はないです。子供がやりたいことはなるべく自由にやらせる。自分で考えさせる。そこはそんなに難しくないし、やってる人も多いでしょう。
難しいのは”直さない”、”待つ”こと。これ本当に難しい。子供が遊んでいて、おもちゃの使い方が違うときとか、シャツのボタンを掛け違えているとき、ついつい「それはこうやるんだよ」とやって見せてしまいがち。それを自分で気づくまで待てるかどうか。自分で直すまで待てるかどうか。そういう場面になった時、”理論的な裏付けがあるから”自信をもって待てるようになる。それがこの本を読む意味だと思います。
待つのは短期的にだけじゃなく、長期的にも。体育でも、算数でも、”周りのみんながここまでできるのに自分の子ができない”ときに、じっくり待つのはこれまたかなり難しい。

最も難しいことをやるには

どうやったら待てるかというと、自分の子を”信じる”しかないと私は思っています。つまり、”自分の子は必ずできる。今はできないだけ”と、心から信じられるなら、待てるんですよね。
と、ここまで考えてふと気づいてみたら、仕事でも同じ。後輩に仕事を教えるとき。単に作業を教えるだけなら、ささっとやって見せて、違ったら直してでいい。でも後輩を育てるときは、それじゃダメ。頼んだ仕事の意義を説明し、よく観察しつつも、じっくり待つ。その人に合わせたタイミングで支援して、ティーチングじゃなく、コーチングで導く。この場面でも、後輩を信じられるかどうかがとても重要になります。

そう思ったら、自分の子供に対しても、ちょっとできそうな気がしてきたな。頑張って待ってみます。

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