サピエンス全史。買ったままになってたのをいまさら読みました。すごく面白かったです。
どういう本か
ホモ・サピエンスがこれだけ繁栄をしているのは何故なのか。それを丁寧に紐解いた本です。
そのベースになっているのが、認知革命、つまり「形の無いもの(虚構)を、形あるのと同じように信じて扱う」サピエンスだけの能力だ、というのがメインの主張となります。国家とか通貨とか、社会とか宗教とか。そういう虚構を通じて、知らない同士が協力し合えたから、地球上の広範囲に繁栄できた、というわけですね。…ってのが、まあこの本の一般的な説明です。
で、それはまあ、なるほどね。という話なのですが、それだけだったら生物学か脳科学なんかの本で終わるはず。ところがこの本のタイトルは「サピエンス全史」です。なんででしょうか?
読み終わってしばらく考えて、突然わかりました。
この本は、「我々ホモサピエンスの歴史ってのは結局、何をどう認知(理屈付け)してきたかという歴史なのだ」と言っているのです。私はそう理解しました。ネットにあふれるこの本のレビューでは、「この本は認知革命の話です」て書いてあるものも多くて、私も読む前はてっきりそうだと思っていました。でも違うのよ。認知革命は、この本にとって主題じゃなくて、話の土台なのです。
で、その土台の上に「様々なものをどのように認知(解釈)しているか、なぜそういう解釈を選んだか」という話がなされていくのです。これがとても面白い。全てのものを一歩引いて見て、僕らがどうとらえているかの解説があるので、読んでるだけで、一歩引いた目線を味わえるわけです。
宗教の説明が特に面白い
特に私には宗教の話が、なるほどの連発で、めちゃめちゃ面白かったです。
宗教って、結局なんなのでしょうか。なぜ宗教があるのでしょうか。
この本を読んで私が勝手な理解をしたところによれば、宗教とは結局、「世の中がこうなっている理由の説明」 なのですよ。
なんであの人には幸運が訪れて、私は不幸な目にばかり遭うんだ?
そんなの、説明つかないでしょ。
そこに宗教があると、説明がつくわけです。
神様を信じていないからだ、とか、神様は助けてくれるけど悪魔が邪魔するせいだ とか。
ちょうど、科学が発達してなかった頃の妖怪に近い。なぜ雷なんてものが落ちるのか?なぜかまいたちなんて現象があるのか?昔は全部、説明できないので、雷様とか妖怪かまいたちで理由付けしていたわけです。「世の中がこうなっている理由」ですね。
で、どういう解釈(理由付け)を採用したいか = どの宗教を選ぶか みたいな話になってくる。もちろん、選ぶのは個人とは限らなくて、国家単位や民族単位、家族単位で選んだりということになります。
で、宗教を選ぶとある意味、大事なものとそうでないものが皆近くなるので、秩序が生まれる。やったほうがいいこと、やってはいけないこと。これらが皆共通認識があると、社会としてうまく回るというわけです。
この「理由付けができる」という解釈はとても面白い。この解釈を基にすると、一神教と多神教の違いとか、仏教と他の宗教の違いとか、逆に科学と宗教が近い点、遠い点など、分かってきます。「世の中がこうなっている理由」を解き明かすのは、科学の専売特許みたいに思っていましたが、全く別の考え方がある、ということですね。
それで思い出したのが、昔話でよく出てくる貧乏神です。
貧乏神って、頼りたい存在でもないのに、なぜ居るのかなあと思っていたのですが、そうです。「自分が貧乏な理由付け」なんですよね。働いても働いても裕福にならない。なんでなんだ?という時に、家に貧乏神が居る ということにすれば納得するわけですよ。「仕方ないなあ。貧乏神様が出て行ってくれるまで頑張るか。」なんて具合に。
ほんと、サピエンスは面白いことを考えつくものです。
サピエンスの歴史が終わる時
あとはまあ、おまけですが、ちょっと怖い話。
サピエンスの歴史が認知の歴史、であるならば…サピエンスに認知(意味づけ)できないものが現れたら、それがサピエンスの歴史が終わる時 ということです。宇宙についてほとんど知らない頃から、彗星(ほうき星)にさえ意味づけをしていた我々ですから、サピエンスの認知を超えるものなんてあるのかなあ、という気もしますが、あるとしても、僕らにわかるはずがない。認知できないものを、想像できるわけがないです。
考えてもわかんないものではあるけれど、そういう存在が出てくるのかもなあ と知っておくのは悪くない。単に、一歩引いた目線で考えるという意味で、です。
ともあれ、この本を読んで、世の中の様々なものに対して「あぁ、こうやって説明がつくのか」と分かる感覚、なかなか気持ちいいです。おすすめ。