これの今月号(2013年2月号)にすごい記事があった。
思わず読みふけって地下鉄乗り過ごしそうになるくらい。
通販業 物流倉庫でのピッキング業務潜入ルポ。
商品を倉庫の棚から探し出し、送り出す仕事。
ハンディ端末の指示に従い、
一分一秒を争うスピードを要求されながら
ミスも許されず、一日中倉庫を走り回る。
およそ人間らしいとは言えない仕事。
単純作業だから人間らしくない、と言ってるんじゃない。
息つく暇も与えられず、次々に、一日中厳しい指令にさらされる、その様子が人間扱いされてない、という意味。
そりゃそうですね。
送料無料が珍しくなくなっている通販業界。
商品送付にかかるコストは極限まで削られる。
結果、とにかく安くやりますという物流業者に仕事が行く。
その業者は、従業員に、
極力安い賃金でひとつでも多くの商品を処理するよう求める。
コスト構造から考えれてみれば当然の話。
だけど思いもしなかった。
こんなひどいなんて。
僕がよく使うネット通販は、やはりダントツ。
幸いと言おうか、雑誌のルポは、Amazonではなかった。
しかもアメリカの話。
それに、以前テレビで見た、市川市物流センターには
そんな悲愴な雰囲気は感じられなかった。
だからAmazonは違うかもしれない。(し、そうかもしれない)
だけど、世間の送料無料通販には、こういうところがあるってこと。
蟹工船は現代にもあったってことだ。
なにも、送料無料通販は使うのやめよう、と呼びかけたいわけじゃない。
僕だって節約できるお金は節約したいし、少しでも安く買いたい。
この現実を知った後も、僕は送料無料のAmazonが送料無料じゃなくなったときに、
それを「サービスが悪化した」と憤慨するか
「届けてくれることに正当な対価を払う正常な姿に戻った」と思うか。
これは、
ものが届くということひとつとって、人の手を渡ってきたと想像できるかどうか
ということだと思う。
小さい時にくどく教えられた、「お米は農家の人が一生懸命作っている」ってのと似ている。
でも、僕はいつのまにか、買ったものは送料無料で届くものだと思ってしまっていた。
送料無料のサイトもありがたく利用するとして、
送料無料じゃない通販も、なんだよ、って思うことなくフラットに接したいと思う。