マスメディアの時代は、より多くの人が知りたいと思うことに価値があった。
端的にいうと、テレビの視聴率。
新聞、雑誌の発行部数。
つまり、どれだけ多くの人が知りたいと思うかが
重要な尺度だったわけです。
いわゆるニュースバリュー。
ところが、ソーシャルメディアの時代。
そして日本語ブログが何万サイトもある時代。
自分でもブログをやってみて、どうやら、
「いかに多くの人に」という価値基準は急落しつつある、と実感しています。
有名ブランドではない、とあるメーカーの、いちモデルのカバンについて。
そんなカバンについての
情報を求めてる人なんてどれだけいるんだ?
と思いながら書いた記事
トラックのタイヤでできたカバンSEAL半年使ってみたレビュー - せいじ100のリスト
のほうが、
世間のニュースについて書いたものよりアクセスが多い。
これは結構、驚きでした。
ニッチな立場から書いたもの。
ニッチにむけて書いたもの。
これらの方が、よく読まれる。
そしてターゲットの人たちにとっては、
不特定多数に向けて書かれたものより
ずっと面白く、あるいは役に立つ。
なるべく多くの人に向けて書かれたものは
ありきたりで、つまらない。
そんなこと書いている人はごまんと居る。
すっごく一部の人にしか役立たない話というのは
今までなら、広がらないから誰にも届かなかった。
だけど今は検索エンジンがある。
みんなが感心のある話題について書くよりも、
他の誰も書いていないことを書くほうが、
検索エンジンでの露出は上がる。
それは即ち、よく読まれることにつながる。
つまり、希少性が、情報の価値として突出してきたってこと。
希少性を最優先に、自分が持つ情報やスキルを棚卸ししてみる。
たぶん、すごく意外な順位になる。
面白くないかな?
photo credit: the|G|™ via photopin cc
ーー追伸
この文章を書き終えて、いつアップしようかと数日寝かせているうちに
こんな文章に出会った。僕の言いたいことを逆側から書いてあるので引用しておく。
物質的なモノの品揃えが限られていたのは、二十世紀に特有の三つのボトルネックがあったからだ。
この三つの関門を無事くぐり抜けた品物だけが、消費者の手に届くことになっていた。
1.大量生産に見合うこと
2.大量流通に見合うこと
3.消費者の目にとまること(広告、または最寄り店舗での販促を通して)
この本に書いてあります。レビューはまた後日。